ひまわり乳業の沿革
1922年
5月20日
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吉澤八洲夫が高知県土佐郡秦村秦泉寺にて「吉澤牧場」を創業。
乳牛と山羊を飼育し、ミルクの処理、販売を始める。
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1931年
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高知市愛宕町に「吉澤牛乳販売部」を設立。
ミルクプラントを建設して、乳処理と販売の拠点とする。
地図:「江ノ口中央部新町名一覧」(昭和11年江ノ口新町名普及会発行)より
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1937年
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吉澤牧場は、武藤牧場、池知牧場と企業合同して「高知牛乳卸商業組合」を設立。
吉澤八洲夫が代表者となる。
1946年
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高知市南与力町に「土佐乳業株式会社」を設立。
吉澤八洲夫が社長に就任し、工場の稼働を始める。
この年、吉澤八洲夫は官民の賛同を得て、高知県の酪農業振興を図るため「社団法人高知県酪農協会」を設立する。
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1949年
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社名を「高知牛乳食品株式会社」に改称。
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1965年
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県下有数の酪農地帯であり、地下水の豊富な高知県南国市物部に、四国有数の生産能力を誇る「南国工場」を建設。
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CM ひまわりさん-夏
1965年に南国工場が完成した際、最新式の工場の紹介とともに作られたCM。「♪ひまわりちゃんとわたしたちは~♪」のテーマソングが初登場。
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CM ひまわりさん-遊びの後は
「ひまわりさん-夏」と同時期に制作されたイメージCM。
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1970年
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CM ローヤル牛乳
最も成分が濃い最高級の加工乳「ローヤル牛乳」を発売したときにつくられたCM。
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1971年
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愛媛県松山市に「松山営業所」を開設するに伴い、社名を「ひまわり乳業株式会社」に改称。
1973年
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高知県土佐市の「南海乳業株式会社」と合併して、社名が「ひまわり南海乳業株式会社」となり、吉澤八洲夫が代表取締役社長に就任する。
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CM 配達員とブルドック
愛媛県へと販売網を広げ、松山営業所を開設した時代に制作されたイメージCM。
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CM さわやかな朝の食卓に
「配達員とブルドック」と同時期に制作されたイメージCM。
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1979年
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CM 見つけた者が先に飲む
1979年に発売された「ホームミルク」のCMとして制作。「ホームミルク」は牛乳分100%のコーヒー牛乳というコンセプトで作られた商品。家の形をしたパッケージが新鮮だった。
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CM 水なんて1滴も
牛乳の信頼性を向上しようと「牛乳には、水なんて一滴も加えていません」キャンペーンが行われた。品質にこだわるひまわり牛乳の姿勢を鮮明に打ち出したCM。
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1991年
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1988年に瀬戸大橋が開通し、ひまわり乳業の商品も本州まで運ばれるようになる。
商圏の拡大に対応して大型低温物流センターを南国工場に併設。
2001年
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南国工場内にヨーグルト・清涼飲料水を製造する第二工場竣工。
2006年
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ひまわり乳業の乳酸菌がソユーズに乗って宇宙へ。
国際宇宙ステーションに1週間滞在し、無事、地球へ帰還。「宇宙を旅したヨーグルト」として商品化される。
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2009年
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本社を高知市与力町から南国市物部の南国工場隣地に移転。本社棟竣工。
日本テレビ「秘密のケンミンSHOW」で、ひまわり乳業が紹介される。
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2014年
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「乳しぼりをした日がわかる低温殺菌牛乳」が「フード・アクション・ニッポン・アワード」流通部門で優秀賞を獲得する。
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2015年
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青汁「菜食健美」が「フード・アクション・ニッポン・アワード」で入賞する。
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2021年
1月
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「ひまわり高知の牛乳」「ローファット」「ひまわりコーヒー」「リープル」の200ml紙パックが日本ではじめてストローレス対応になる。
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2022年
5月20日
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創業100年を迎える。
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